犬江の伝説とロマン  



魚貫崎(牛深市)の池田ケ池(網代さん撮影)

 大江は、おだやかな入江を擁する半農半漁の村だ。北側背後の山間、野中部落は有名な隠れキリシタンの里で、いまでは、白亜の教会堂がロマネスク風の建築様式でたっている。(管理人が近々に映像を準備します!)

  ここは、信者たちから聖者と仰がれたフランス人宣教師ガルニエ紳父(1860〜1942)終焉の地だ。南側の入江は船着場になっており、漁船がにぎやかに群がっている。その中間、学校や保育園がある本郷の家並みを横切ると、お万ケ池(これも管理人が近々に提供します。)と呼ぶ小さな湖に出る。

  伝説によると、ここに住んでいた女の大蛇が、魚貫崎(牛深市)の池田ケ池(左写真)にすむ男の大蛇と、天草灘にそそりたつ幾つかの断崖絶壁や天草灘から入りくんだ羊角湾を越えて、大恋愛の花を咲かせたそうである。魚貫崎(おにきざき)は鬼来崎・すなわち、漂着した南蛮人紅毛人を見て〃鬼が来た〃と感ちがいして大昔の人々が呼びならわした地名だという。

近日公開につきご期待ください!

 お万ケ池のほとりを.さらに歩いていくと、左手入江の岬山や右手段々畑と雑木林の連丘を背景に茫洋たる天草灘が豁然とひらけ、ここで細長く曲がりくねった農道が行きどまりとなる。須賀牟田海岸だ。道下の一部分だけは、天草灘の海底から波濤が揺り上げた白砂の浜である。しかし、右手左手は、奇礁乱立の大景観だ。

 北の方には、異国船が〃羊の角〃と呼んで航海の目安にしたという大ケ瀬小ケ瀬が、海の中に屹立している。(これも管理人が近々に提供します。)もっとも、小ケ瀬は見えるが、大ケ瀬は磯山のかげにかくれている。とにもかくにも、名にし負う天草灘の荒磯である。少々でも風波が立てぼ、漂着唐船が木ッ端微塵になるはずだ。

(引用 天草海外発展史 北野典夫著)